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2016-11-30
  • anyone カン・ジファン「ソン・ユリと3回目の作品、目だけ見てもぴったり」

韓国の記事にカン・ジファンさんの記事が掲載されていましたので
皆さんにご紹介します。

韓国の記事にカン・ジファンさんの記事が掲載されていましたので
皆さんにご紹介します。

<スタッフ翻訳文>
カン・ジファン「ソン・ユリと3回目の作品、目だけ見てもぴったり」

俳優カン・ジファン(39)が7年ぶりに酔いトークを開いた。

-初50部作の挑戦で一味違う思い出になりましたか?
「演技的な側面で限界を感じました。この作品の中に人の喜怒哀楽が全てあって、
ラブストーリーもありコメディもあり、アクションもありました。
毎回努力していますが、30部作を超えるので
僕が見せられる演技をすべてしましたが、
視聴者の方たちは新しいものをずっと求めるじゃないですか。
客観的に評価できる時間になりました。
ミニシリーズを中心にしていたのでこのような経験が
足りなかったというのもありますが、
限界を感じたという点がとても恥ずかしかったです。
一瞬でも最善を尽くさなかったことはないですが、
主人公として何かをもっと引っ張っていかなければいけないので
いい経験になったと思います。」

-『モンスター(仮)』は「2位独占」ドラマでしたね
「視聴率10%前半台でしたが、
6ヶ月を超えてもその視聴率を維持したということは拍手をしたいですね。
リオオリンピックにも揺るがなかったですからね。
監督と僕とたくさんの努力をしました。
視聴率というものは一度、底に落ちたら流れというものがあって
上ってくるのが難しいんですよね。
それで、少ない時間ですたが、
様々なバージョンを準備して監督と協議後に撮影したりしました。
特に違う新しいドラマがライバル作で入ってくるときには、
最初の方の視聴率が胎児なので頭を抱えて悩みました。熾烈な戦いでした。
それでも最後まで10%台の視聴率で2位を守って入れたのでよかったです。」

-中年層の方のたくさんの愛をもらったそうですが?
「本当に寿司着なものが普通は俳優カン・ジファンで
覚えてくださっているのに中年層の視聴者の方たちは
<カン・ギタン>や<ビョン・イルジェ><ドドグループ><ド・シニョン>
のように劇中のキャラクターの名前と登場する素材を
たくさん覚えてくださっていることに驚きました。面白い経験です。」

-『モンスター(仮)』の共演者と連絡は取りあっていますか?
「作家と俳優たちと僕の家で会いました。久しぶりに会ったのでうれしかったです。
庭でサムギョプサルを焼いて食べながら余裕を楽しみました。
お互い休めなかったのでドラマが終わってからは休むことに集中してしまい、
ドラマが終わって一ヶ月以上経ってから集まりました。
撮影スケジュールが辛いからなのかチームワークがよかったです。」

-ソン・ユリさんと3回目の共演でしたね
「ユリとは3回目の共演なので本当に目だけ見ても息が合いました。
即座に出た台本でもカメラ監督のスタイルもわかるし、
お互いの演技のスタイルもわかるので本当によく合いました。
相変わらず不思議なのは、ユリが本当に泣くんです。
撮影に入ったら、すぐに泣きます。あの姿を見ると本当に不思議です。」

-カン・ギタンとの別れは完璧にできましたか。
「8ヶ月の間撮影して、なんとなく終わるのは残念ですが、別れは難しくないです。
10年以上演技をしているので、作品のキャラクターと別れることは
感情のコントロール能力が上手くなったと思います。
以前は『90日、愛する時間』というドラマをした時は作品の後遺症とうつ病が一緒に来て、
6ヶ月間辛かったです。演技をするとき、かなり集中するスタイルなので
こうやって楽になるまで10年ほどかかりました。」

-復讐劇の魅力は何ですか。
「ピリっと刺激のある何かがあります。
そのせいで続けてやりました。
感情の起伏が大きいに演技に消化したことについて満足感も大きいです。」

-次にしたいキャラクターや作品があるなら?
「感情的に復讐というジャンルに偏りがちになるじゃないですか。
これからは、ラブストーリーやアクション、ラブコメをしてみたい。
様々なジャンルをやってみたいですね。
もちろん有難いことに今までやってみたジャンルはほとんどなかったと思うけど、
次の作品ではキャラクターが生き残ることができる演技をしてみたいです。
強烈なアクションでも愛らしいキャラクターでも、
切実なラブストーリーでも本当にひとつのキャラクターで
新しい姿を見せることを探したいです。」

-2002年のミュージカル『ロッキーホラーショー』でデビューしましたよね
「以前、俳優になりたいのにどうやって俳優になればいいのかわからず、
探していましたが、ある知人がミュージカルをしたら、
演技、歌、ダンスをすべて覚えることができると言っていたので
ミュージカルのオーディションを受けに行きました。こうやって演技を始めました。
ミュージカル練習生としてアンサンブルからしました。
『ラッキーホラーショー』は、露出があるミュージカルなので
真冬でもローラーブレードで登場するシーンがあって、
コートだけを着て大学路でビラを配った記憶があります(笑)
その当時、オーディションを受けましたが、何もわからなかったので当然、落ちました。
何か習わなければいけなかったんですけどね。
それで掃除でもしようとチームの一員にしてくださいと言いました。
そうやって3カ月がくらい過ごしましたが、
ドイツから来ることになった俳優が来れなくなったんです。
人数を合わせなければいけなかたったため、運よくその席に入りました。
公演をするときにもうけが少なくて本当に大変でした。
1ヶ月に大体10万ウォンもらっていたと思います。20代の時は本当にお金がなかったです。
しかし、軍隊に行ってきてからは両親にお金をもらってはだめだと思い、もらいませんでした。
しかし30歳までやってみてダメだったら諦めようと思っていました。」

-29歳の時、転機が訪れたんですね。
「がんばれ!クムスン」にキャスティングされたのがその時でしたね。
この作品が上手くいきながら定着していきました。
同じ時間帯に放送されたKBS毎日ドラマを追い抜いた初のMBCドラマでした。
本当にうれしかったです。しかし無名時代を経てから
毎日ドラマの主人公を演じたわけじゃないですか。
キャスティングされたことはとてもよかったのですが、
これをすぐにうまくやれることができるのかと心配になりました。
その当時は、主人公でも演技が下手ならクビになっていましたからね。
それで少しだけ出て、クビになるのではないかとビクビクしていました。
一瞬も安心できなかったです。現場で台本だけ見てセリフだけ見ました。
とても硬直していましたね。
わざと会食の席も作ったりしてスタッフと仲良くなろうとしていました。」

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